僥倖
僥倖(ぎょうこう)
思いがけない幸い。偶然に得る幸運。「―を頼むしかない」「―にめぐりあう」
幸運を願い待つこと
「あさが来た」で聞いた 「僥倖の極み」
キリスト教 カトリックとプロテスタントの違い
カトリックは神父・修道士・修道女・修道院があり結婚せず神に仕える
女性の神父はいない
プロテスタント教会の牧師は結婚可能
牧師は女性もいる
プロテスタントは何百派の宗派毎に組織がありどこにも属さない独立した教会もある。教えの上で大きな違いはプロテスタントは神と個人が直接の関係を持つ
カトリックの神父は神と個人を仲介役
プロテスタントの牧師は教会のまとめ役・指導者なので全く役割が異なる。
プロテスタントは父・子・聖霊の三位一体の神だけ信じ祈る対象とし聖書の登場人物は母マリアでもただの人間とされる
カトリックの教会
カトリックで聖母マリアは聖なる女性として祈りの取次をする特別な存在とされる。生前の行いなどにより死後カトリック教会から聖人と認められた人は信仰の手本とされる
お祈りの後十字を切り洗礼名があるのはカトリック
プロテスタントは洗礼名なし十字も切らない
プロテスタントの教会
私はカトリック、プロテスタントも経験したが、家は浄土宗、知恩院派です
追伸
ジャンヌダルクのお話
「神の声を聞いた」と立ち上がった
しかし、神との関わりはバチカンを通さねばならない
後に許されたが
それに反したので異端とされて、火焙りにされた
六根清浄(ろっこんしょうじょう)
目、耳、鼻、舌、身、意
六根、執着を断ち心を清らかな状態にすること
六根は人間の認識の根幹である。それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道
(八正道)を往くことはかなわない。そのため執着を断ち、心を清らかな状態にすることを言う。そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つことが行なわれた(山ごもりなど)。「六根浄」ともいう。
かつては登山の際に掛け声としても用いられ、落語「大山詣り」などにもその様子が描写されている。戦前までは富士山への登山の際にも掛け声として用いられたことが知られている
登山の際に用いられた結果、音便化し「どっこいしょ」になったという説がある。
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大麻 (神道)
大麻、大幣(おおぬさ)は、神道の祭祀において修祓に使う道具の一つで、榊の枝または白木の棒の先に紙垂(しで)または麻苧をつけたものである。白木の棒で作ったものは祓串(はらえぐし)とも言う。
「大麻」(おおぬさ)という言葉は、本来は「ぬさ」の美称である。「ぬさ」とは神への供え物や、罪を祓うために使用する物のことであり、主として麻や木綿(ゆう)、後には布帛や紙が使われていた。そこから、神事に使う布帛や紙のことを大麻と呼ぶようになった。
上述の祓具としての意味のほか、伊勢神宮から頒布される神札のことも大麻(神宮大麻。この場合は「たいま」とも読む)という。
大麻は、祓う対象となる人や物に向かって左・右・左と振って使用し、これによって大麻に穢が移ると考えられている。かつては、人に対しては祓を受ける人が大麻を手で引いて穢を移していたが、後に人に対しても大麻を振るようになった。 大麻で祓った後に、小さな榊で塩湯を撒く(振りをする)場合もある。 大麻自体を塩湯が煮え立った釜に入れて振り、無病息災を祈る祭事もある事から、本来は実際に体を洗うブラシのような使い方をしていたと考えられる
大麻は神社、仏閣のお鈴さんに使われたり、注連縄に使われたりして、神事的に何かを結びつげつけるには、必ず大麻の繊維が使われていました。
神社本殿のお鈴さんを振ることで、神様のお使いである鳥に合図を送り、そして、天に合図を送るのです。
鈴を吊るすのに大麻繊維を使うのは、麻が吊られているマツリの状態の意味をもちます。子供の頃、地元でお祭りがあると神社に御幣をもらいにいきました。
御幣とは先端に大麻繊維がついている榊で、それを持って、山車のところへ走って行き、山車の御神木に縛りつけて麻を吊り、祭りの安泰を約束したものです
「ずつ」と「づつ」、使うのはドッチ?
以前から「づつ」を使用していて、「ずつ」を小説などで見て違和感を覚えていた
しかし、この度調べてみました
Geogleで「違いはネット」を参考にさせていただきました
ありがとうございます
1人1個ずつ、1人1個づつ
た
学校や、公的な文章(新聞、テレビなど)では、
「ず」を使う方で統一されています
「1人1個ずつ」が一般的な表現方法となります
ただし、例外的に「づ」を使います、
同じ音が続く場合です
つづく(続く)です、
次に濁音が続く時は、「づ」を使います
次の例外は、元の単語が「つ」の読み方をする場合です。
てづくり(手作り)
こづつみ(小包)
おこづかい(お小遣い)
このように、元の単語が「つ」なのに、
発声の理由で濁音となった場合は「づ」を使います
ただ、原則では、説明しきれないものもあります
たとえば、
いなずま(稲妻)
ゆうずう(融通)
などです。
先ほどのルールに照らし合わせてみると、
「妻 → つま」なので「いなづま」
「通 → つう」なので「ゆうづう」
となりそうなものですが、実際には違います
言葉というものは時代と共にるようです
勉強させていただきました
ありがとうございました